2011-05-06 20:51:24 (12 years ago)
昨日は宮島、自然のパワーに触れてきた。
本日は対照的に、一度は訪れてみたかった念願の「広島平和記念資料館」へ行く。
数年前に来たときには閉館日のため原爆ドームのみ、それでも圧倒され考え深いものがあった。
まず、観覧料50円に驚いた!驚くところが違う!?
公共施設について賛否が分かれるが、これほどまでに存在意義ある施設は少ないだろう。
十倍の観覧料でも安いくらいだ。
観覧の流れは・・・
第一幕:原爆投下前後の解説 → 原爆投下後の物理的被害 → 平和への願い
第二幕:人的被害とその爪痕 → 世界平和
大きく分けるとこのような順路で進んでいく。
第一幕
入ると直ぐ解説映像がながれ原爆投下の大筋がわかる。
広島市内の模型など投下前後の町並みが比較出来き、どれほどの威力で全てが失われたのか一目で理解出来る。
戦況がどのように変化し原爆投下に至ったのか順を追った流れ。
中には金属資源不足のために巻かれたこんなチラシまで展示されていた。
こうやって回収されたものが特攻兵器へと・・・・。
どれだけ恐ろしいモノだったか、一通りの流れで観たところで2階フロアーへ
最後に子供達が絵書いた平和への願いや、被爆者のメッセージが展示されている。
あれだけ恐ろしい状況の中、前を向いている(行くしかない)のが色でも伝わってきた。
本当に凄いと感じた。
ここで、グッズ販売や資料閲覧可能なスペースになる。
一息つかないと本当に苦しくなってしまうので、凄く良い間だなっと。
第二幕・・・いきなり原爆によって焼けつぶれた生活用品などが目に飛び込んでくる。放射能の黒い雨に濡れた壁の一部も。
これだけでも強烈なインパクトがある、その横(順路からは死角)に皮膚が解け落ち悶え苦しむ、投下直後の再現ブース。
そして、被爆者が運ばれた病院、彷徨う人達の実写真へと続く。
再現ブースは悲惨なイメージをインパクで見せているようにも見える、しかし実写真には到底かなわない。
本当に人々の身体が溶け、顔も分からないほど変形した姿、本当に重みがあるしブースでは表現出来ない説得力がある。
放射能汚染の科学的解説を経て、さらに爆風や熱線による被害、救護活動などパネル展示が続く。
広島に投下されたウラン原爆「リトルボーイ(小さな子供)」についても解説されている。
リトルボーイ(小さな子供)、どうしたらこんなネーミングが出来るんだろう・・・
爆弾としての見た目だけなら分からなくもないが結果を考えたら・・・
きっと地中や無人島ではない投下実験程度にしか思っていなかったのだろうアメリカは。
表向きには日本を降伏させるために「仕方なかった」との言い分だが、これは実際の威力を測定する実験だった。
改めてそう感じる。
近年までアメリカ国民にも知らされていなかった原爆の本当の被害と威力。
数年前のドキュメンタリーでアメリカ国民が驚きを示していたのを忘れない。
最後に、2歳で 被爆、10年後に 白血病で 短い一生を終えた少女、佐々木禎子 ( ささきさだこ ) さんについての展示。
10歳までの元気な姿から白血病で衰弱して行き最後を迎え棺に収まったところまで写真と共に述べられている。
普通ここまでは・・・と思ってしまうが、広島平和記念資料館が故にここまで見せてこそ、原爆とは何かを伝えることができるのだろう。
最後は世界中からの平和メッセージが
ん・・・苦しい気持ちで資料館を出る。
原爆の子の像、そして折り鶴・・・佐々木禎子の像であり、生前自らが他の被爆者のために折った折り鶴を継承し、
いまでも平和記念公園にはたくさんの折り鶴があります。
そして原爆ドームを一周し帰路に立つ。
途中、戦争絡みで呉にある大和ミュージアムに立ち寄る
http://www.yamato-museum.com/
戦艦ヤマトもそうですが、零戦「零式艦上戦闘機62型」と、人間魚雷「回天」
いずれも特攻(特別攻撃隊)に使われた悲しい兵器です。
ここには展示されていませんでしたが、ロケット特攻機「桜花」
爆弾に操縦室を付けただけ、自力で離陸すらできない、ただ突っ込むだけのために作られた特攻機。
子供の頃にはカッコイイなどと思っていたが、いまになると恐ろしくて仕方がない。
零戦については、特攻機でもあり通常の戦闘機でもあるので少々位置付けが異なるが・・・。
大和ミュージアム横には海上自衛隊の「海上自衛隊呉史料館」があり、
戦時中とは全く違う平和な時代に作られた潜水艦「あきしお」船内に入ることも出来ました。
ん〜〜これは貴重な経験だっ。
http://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/index.php
特別に軍事とか戦闘に興味がある訳ではないのですが、
戦時中のこういった兵器(乗り物)には、いろいろな意味で気になります。
乗り込んだ乗員は、どんな気持ちだったのだろう・・・とか、
純粋に乗り物としても。
これで本当に帰路に立ちます。
奥さんの実家、岡山に戻ります。
次回はパート4(桜と犬+ファイナル)
本日は対照的に、一度は訪れてみたかった念願の「広島平和記念資料館」へ行く。
数年前に来たときには閉館日のため原爆ドームのみ、それでも圧倒され考え深いものがあった。
まず、観覧料50円に驚いた!驚くところが違う!?
公共施設について賛否が分かれるが、これほどまでに存在意義ある施設は少ないだろう。
十倍の観覧料でも安いくらいだ。
観覧の流れは・・・
第一幕:原爆投下前後の解説 → 原爆投下後の物理的被害 → 平和への願い
第二幕:人的被害とその爪痕 → 世界平和
大きく分けるとこのような順路で進んでいく。
第一幕
入ると直ぐ解説映像がながれ原爆投下の大筋がわかる。
広島市内の模型など投下前後の町並みが比較出来き、どれほどの威力で全てが失われたのか一目で理解出来る。
戦況がどのように変化し原爆投下に至ったのか順を追った流れ。
中には金属資源不足のために巻かれたこんなチラシまで展示されていた。
こうやって回収されたものが特攻兵器へと・・・・。
どれだけ恐ろしいモノだったか、一通りの流れで観たところで2階フロアーへ
最後に子供達が絵書いた平和への願いや、被爆者のメッセージが展示されている。
あれだけ恐ろしい状況の中、前を向いている(行くしかない)のが色でも伝わってきた。
本当に凄いと感じた。
ここで、グッズ販売や資料閲覧可能なスペースになる。
一息つかないと本当に苦しくなってしまうので、凄く良い間だなっと。
第二幕・・・いきなり原爆によって焼けつぶれた生活用品などが目に飛び込んでくる。放射能の黒い雨に濡れた壁の一部も。
これだけでも強烈なインパクトがある、その横(順路からは死角)に皮膚が解け落ち悶え苦しむ、投下直後の再現ブース。
そして、被爆者が運ばれた病院、彷徨う人達の実写真へと続く。
再現ブースは悲惨なイメージをインパクで見せているようにも見える、しかし実写真には到底かなわない。
本当に人々の身体が溶け、顔も分からないほど変形した姿、本当に重みがあるしブースでは表現出来ない説得力がある。
放射能汚染の科学的解説を経て、さらに爆風や熱線による被害、救護活動などパネル展示が続く。
広島に投下されたウラン原爆「リトルボーイ(小さな子供)」についても解説されている。
リトルボーイ(小さな子供)、どうしたらこんなネーミングが出来るんだろう・・・
爆弾としての見た目だけなら分からなくもないが結果を考えたら・・・
きっと地中や無人島ではない投下実験程度にしか思っていなかったのだろうアメリカは。
表向きには日本を降伏させるために「仕方なかった」との言い分だが、これは実際の威力を測定する実験だった。
改めてそう感じる。
近年までアメリカ国民にも知らされていなかった原爆の本当の被害と威力。
数年前のドキュメンタリーでアメリカ国民が驚きを示していたのを忘れない。
最後に、2歳で 被爆、10年後に 白血病で 短い一生を終えた少女、佐々木禎子 ( ささきさだこ ) さんについての展示。
10歳までの元気な姿から白血病で衰弱して行き最後を迎え棺に収まったところまで写真と共に述べられている。
普通ここまでは・・・と思ってしまうが、広島平和記念資料館が故にここまで見せてこそ、原爆とは何かを伝えることができるのだろう。
最後は世界中からの平和メッセージが
ん・・・苦しい気持ちで資料館を出る。
原爆の子の像、そして折り鶴・・・佐々木禎子の像であり、生前自らが他の被爆者のために折った折り鶴を継承し、
いまでも平和記念公園にはたくさんの折り鶴があります。
そして原爆ドームを一周し帰路に立つ。
途中、戦争絡みで呉にある大和ミュージアムに立ち寄る
http://www.yamato-museum.com/
戦艦ヤマトもそうですが、零戦「零式艦上戦闘機62型」と、人間魚雷「回天」
いずれも特攻(特別攻撃隊)に使われた悲しい兵器です。
ここには展示されていませんでしたが、ロケット特攻機「桜花」
爆弾に操縦室を付けただけ、自力で離陸すらできない、ただ突っ込むだけのために作られた特攻機。
子供の頃にはカッコイイなどと思っていたが、いまになると恐ろしくて仕方がない。
零戦については、特攻機でもあり通常の戦闘機でもあるので少々位置付けが異なるが・・・。
大和ミュージアム横には海上自衛隊の「海上自衛隊呉史料館」があり、
戦時中とは全く違う平和な時代に作られた潜水艦「あきしお」船内に入ることも出来ました。
ん〜〜これは貴重な経験だっ。
http://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/index.php
特別に軍事とか戦闘に興味がある訳ではないのですが、
戦時中のこういった兵器(乗り物)には、いろいろな意味で気になります。
乗り込んだ乗員は、どんな気持ちだったのだろう・・・とか、
純粋に乗り物としても。
これで本当に帰路に立ちます。
奥さんの実家、岡山に戻ります。
次回はパート4(桜と犬+ファイナル)